あしたのあなたへ

武蔵野学院大学名誉学長 大久保治男

 自分の根っこを。

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「生き延びた」ことがきっかけ

 私は現在の筑波大学付属小学校・中学校・高等学校に通っていました。小学校5年生の春休みに盲腸炎になりました。入院していたのは池袋駅前の病院です。そこで迎えたのが有名な3月11日の東京大空襲です。焼夷弾という火災を起こす目的で使われる爆弾が無数に投下されました。病院では外へ出るのは危険だから病院に留まるように命じました。しかし、私の父親は病院にいる方が危険だと感じ、私を抱いて外へ飛び出したのです。そして近くの防空壕という避難できる場所へ走ったのですが、その直後に病院は焼夷弾の爆撃で大破。防空壕へ入っても焼夷弾の投下は収まらず、地鳴りのする中でしのぎました。結局、病院にいた百人以上の人たちは皆、亡くなり、私と父親、それに私たちと偶然に行動を共にした2名の4名だけが生き残りました。この体験は「生き延びた」という感覚を私に残し、「人の役に立つ人間になろう」という思いを植え付けました。

 また、私の家は戦国時代には徳川家の旗本で、家康の命で彦根藩の家老となりました。そして明治時代には井伊直弼(彦根藩主)の学問所だった「埋木舎(うもれぎのや)」を下賜されました。ここには彦根藩の古文書2万点が残され、この古文書の管理と修復が我が家の大切な仕事となったのです。こんな家系に生まれたため、早くから学問に興味を持ち、将来は学問に係わる仕事を考えていたのです。結局、6つの大学の設立に関わり、30年以上も大学教授として教育の現場に立ち、6万人以上の学生を教えることになりました。

 この二つの思いが私に大学の教員という仕事を選ばせたのだと今では思っています。

 皆さんもご自分の生まれや育ってきた環境の中で、自分ならではの思いや考え、興味・関心があることと思います。そんな自分の根っこの部分を大切にして、将来の自分を思い描き、大学生活を送ってもらいたいと思っています。

 自分は何なのか、受験勉強をしながら、考えてみるのも大学選びには必要かもしれませんよ。