解説〜朝鮮のやきもの

館長 室本 弘道

 わが国の陶磁器にとってもっとも関係の深い国で、やきものに対する私たち日本人の感性を与えてくれた国とでもいえる様に思います。

 朝鮮半島は陶磁器先進国の中国と接し、強く影響を受けました。朝鮮の土器文化の起源は前3000年ころにさかのぼります。わが国の弥生時代の高温焼却の須恵器は、釜山近郊の金海式土器である灰陶が、強く影響を与えた新羅土器に始まると言われています。
  統一新羅時代には伝統の新羅土器に唐三彩のような灰釉陶も作られ、それに印花装飾を施したり、瓦に緑釉のものも使われました。

 高麗時代には本格的に磁器がつくられるようになりました。中国から度重なる侵略を受け、このころ完成していた景徳鎮を始めとする中国磁器窯の産物も大量に出土しています。
 高麗時代を代表するものは青磁で、初期のものは緑青 瓷と呼ばれます。9、10世紀に中国北宋の越州窯の技術を取り入れ、11世紀には中国に負けない高麗青が半島西海岸地域で完成しました。
 特に釉下に白土や黒土を用いた優雅で幽玄な象嵌青は独特のもので す。

1392年朝鮮王朝(李氏朝鮮)に受け継がれ、15〜16世紀に粉青(正式には粉粧灰青沙器(ふんしょうかいせきさき))(日本では「三島手 」「刷毛目」「粉引」と呼ばれる)にその技法が受け継がれました。
 李朝はハングル文字を導入し民族意識の高揚に励みましたので、青磁から白磁が主流となりました。1400年ころ磁器を製造する窯場は324カ所もあったそうです。15世紀には中国から青花(染付)を習得し、 17世紀にはこれを李朝青花として完成させました。
 そしてこれが17世紀には日本へも伝わり、伊万里染付を生みました。また鶏竜山窯の鉄絵の技法牛洞窯・任耕文作は、日本人好みの絵唐津(えからつ)へつながりました。
 やきもの戦争といわれた文禄・慶長の役では、日本の諸大名が戦後多くの朝鮮陶工を連れ帰り、唐津、上野、高取、八代、伊万里、萩で茶陶をつくらせました。
 この時の朝鮮陶工を先祖にもつ現代の陶工の方々に、九州などで話を聞きますと、確かに悲惨な状況でつれて来られた悲劇の方々でしたが、地方の教養人として土地の人々の尊敬を受けた方も多かった様です。例えば生まれた子に名前を付けてもらうなどです。また、日本の茶道で評価が高く今日に伝わる高麗茶碗(井戸茶碗・三島茶碗・熊川茶碗・雨漏茶碗など)は 16世紀頃の朝鮮半島南部の民窯で焼かれた粉青の雑器です。

 私も韓国とは交流があり、時々韓国の新旧の窯場を訪問したり、韓国から多くの陶工が作品を持って日本で展示販売活動をしていますので、お話を伺い多少は知識を得ることができます。日本人好みの渋いやきものはやはり世界中探しても韓国にしかないのではないかと結論付けしています。
 戦前の民芸運動家、柳宗悦氏の気持ちが分かるような気がします。

2004年12月に韓国全州市にある又石(うそく)大学校との間に学生交換協定を結びましたが、その折に韓国の伝統的技法による作品をいただきました。お陰様で韓国作品の説明も充実できました。