解説〜中国のやきもの
館長 室本 弘道
世界のやきもののルーツは中国とイスラムです。その歴史的展開の古さから、また技術的なレベルの高さから、周辺諸国は勿論、世界に影響を与えたその深さにおいて他の追随を許さない国と云えるでしょう。
中国では陶器といえば、土器、陶器、磁器をすべて指します。
紀元前十四世紀(殷代中期)にはすでに釉薬を用いた陶器がありました。殷代後期には今日の磁器に不可欠なカオリン(白陶)が用いられました。
紀元前二百二十一年、秦の始皇帝が戦国時代の覇を制し、その後前漢・後漢と四百年間秦漢文明を形成することになりますが、その象徴が兵馬俑です。将軍・兵士など八千体にのぼる等身大の人形がすべて東方を向いて立ち、東方の国との戦闘に備えています。後漢時代には磁器窯が発達し、その後の三国時代には華南・杭州を中心に古越磁が完成します。
隋唐時代は青磁、白磁、黒釉磁などの磁器類とともに、鉛釉陶の唐三彩が生まれ、八世紀のはじめに河南省などで多く作られました。藍、緑、褐、白を組み合わせた釉で全て副葬物です。
宋時代に入り、越州窯で優れた青磁を生み、日本、朝鮮、アジアに輸出されました。北宋後期には浙江省南部の竜泉窯が青磁生産の中心となりました。日本でも有名な砧青磁です。
この時代には江西省の景徳鎮窯が白磁を生み出しました。また華南の各地域には貿易陶磁が作られました。有名なものに、福建省では建窯の天目、徳化窯の青白磁・青磁、安渓窯の青磁、泉州窯の黄釉鉄絵が、広東省では潮州窯や広州西村窯の白磁・鉄絵が、江西省では景徳鎮窯のほか吉州窯の天目、鉄絵、緑釉があります。
同じく宋代河北諸窯で盛んに生産し、河北省では定窯、磁州窯、陝西省では耀州窯、河南省では釣窯であります。これらの主要な窯は唐代に始まっていますが、本格的な活動は北宋からです。
元時代になり、景徳鎮窯で染付(青花)が発明され、陶磁器の中国一の産地となりました。また銅を使った釉裏紅(青花釉裏紅大花瓶・釉裏紅双耳瓶)も考案されました。
明代も景徳鎮窯が中心であり、宣徳年間(一四二六年〜一四三五年)にはここに御器廠がおかれ官窯として統制されました。中国陶磁器はこの時代完成したといえます。
永楽・宣徳期(一四〇三年〜一四三五年)は染付が特に優れ、弘治・正徳期(一四八八年〜一五二一年)は黄地染付や黄地緑彩、赤絵などの雑彩磁が生まれ、日本にも多く輸出されました。成化期(一四六五年〜一四八七年)には、紙のように薄い胎に赤、緑、青で絵付する豆彩が生まれました。
清朝になって景徳鎮窯では、民窯が日本と共に西洋諸国へ活発に輸出を行ないました。康熙期(一六六二年〜一七二二年)西洋の技法を応用した琺瑯彩、洋彩、粉彩などの色絵磁器が生まれました。雍正、乾隆期(一七二三年〜一七九五年)に景徳鎮窯は最盛期を迎え、その後活動は衰退の方向に向かいます。
中国共産党の時代になり落ち着いてくると、世界の窯の中心・景徳鎮はそれなりに活気を呈する窯として再生していきます。
一九九四年には景徳鎮空港も開港し、上海からも軽易に行けるようになりました。私も一九九八年に出掛け、博物館や昔と現代の窯場などを見せてもらいましたが、歴史の重さを感じて帰って来ました。日本では入手困難となりつつある磁土が、景徳鎮ではこれからまだ百年作り続けても問題ないとの言葉が印象的でした。
これまでは主として磁器について書いてきましたが、中国はお茶文化の先輩でもあります。
日本風の土もののお茶器は、福建省などお茶の生産地でも作っていますが、これも磁器の景徳鎮に対して、茶器の陶器・宜興が有名です。
私も上海から高速道路を蘇州まで飛ばし、そこから大湖沿いに走りたどり着きました。町に入ると、電柱までやきものでできていました(写真参照)。日本では急須の産地常滑(常滑焼)か四日市(万古焼)といったところです。ここは石材の産地も近い様で、土と石の街でした。
美術館を訪問し、歴史的な国宝級の急須を拝見しました。製造工場にも足を運び多くの先人の残した急須の名品を堪能しました。ここでは朱色よりも紫色のものがもっとも珍重されているようです。
中国へは訪問する機会が多く、中国のやきものに接することが多いのですが、北京でも上海でもその他どこでも感じる事ですが、日本の様にやきものの産地が地方に分散していなくて、全国で景徳鎮と宜興のものを売っているように思い、それが残念です。もっと地方の洗練されていない陶磁器にもめぐり会えたらと思っています。
なお、中国では制作時期を示すため、明代から器の底に皇帝の名を付けるようになりましたが、現在の作品にも皇帝の名がついています。中国共産党にも皇帝がいたのかと思いたくなりますが、骨董であると言われてだまされない様にして下さい。
このため政府では本物の骨董については、器に赤の蝋シールを付けていますので、心配な方はそれを買われると良いと思います。
古い時代に栄えた窯は、残念ながら殆どが姿を消してしまいました。現在世界人口の五人に一人は中国人です。この膨大な数の人々はやきものの国である中国各地に窯を復活、ないしは新設しています。
広東省佛山にも景徳鎮に次ぐ窯場があります。