解説〜タイのやきもの
館長 室本 弘道
タイ人の友人が「タイのやきものの歴史(英語版)」という本を送ってくれました。これがタイに行きたいという関心を持ち始めたきっかけでした。
そしてタイと日本とのやきものの交流があったことも知りました。
最初、タイのやきものとの出会いは、在京のタイ日本大使館に勤務する友人が、「自分が実際に托鉢に使ったものです」といってわざわざくれたベンジャロン焼でした。
そして民陶を扱っているデパートに染付皿が置いてあり、とにかく安いので店員に聞くと、現在ベトナムで注文して焼いてもらっているとの事でした。ベトナムにはしっかりとした伝統があり、腕もいいとの事でした。
この程度の知識の時に、前出の本に出会いました。カラーで骨董が紹介されていました。
タイの陶磁器の歴史は、十三世紀のスコータイ王朝の前後ではっきりと区分されるとのことです。
紀元前三〇〇〇年ころにはベンガラで土器を彩るバンチェンが誕生していました。その後施釉陶器はカンボジアのクメール陶器の影響を受けた黒彩釉が多かった様です。
十三世紀にスコータイ王朝が誕生し、王都のスコータイと副都のシーサッチャナーライで中国の影響を強く受けたやきものが作られました。
黒釉、黒濁釉、青磁、鉄絵などの壺、皿が作られました。魚紋や花紋を描き透明釉を使ったものも多くあるようです。どちらの都の窯も似た様なものが多い様ですが、日本ではタイの陶磁器のことを宋胡録焼と総称しますが、これはシーサッチャナーライ近辺の大規模窯の名で主産地Swankhalokから来ています。
中国元代の竜泉窯の青磁の影響が強いといわれています。ミャンマーに王朝が滅ぼされるまで続きました。
この宋胡録焼は江戸の粋人の宝物として今日に伝わっています。小堀遠州が「すむころく」と箱書きした鉄絵香合は、松江の松平不味公所持品として有名ですし、薩摩焼では宋胡録写が作られました。
私もスコータイの骨董屋を駆け巡りましたが、どれが本物か分かりませんでした。しかし沢山買って帰りました。日本に戻ってからのことですが、タイの友人がバンコックからやってきた時に「本物の宋胡録はない」と指摘され、彼の奥様がコレクターでしたので鑑定書付きの本物を一つ頂きました。これが宋胡録焼壷です。
今でもチャオプラヤ川を浚渫すると、時々本物が引っかかるそうです。この当時北部タイには様々な窯があり、カーロン窯もその一つでした。
現在でも北部タイ−チェンマイ地区も−には磁器を多く作っています。ここで日本でも売られている染付−委託であるが−が行われているのだと思います。
現在のタイでは日本に負けず劣らず、さまざまなタイ産のやきものが売られています。
やきもの好きにはたまらない「陶磁器いっぱいの国」の一つです。